月刊『日本橋』2014年12月号 No.428
12月号特集 日本橋で忘年会2014
忘年とは“その年の苦労を忘れる”こと。また、年齢の差を気にとめない“忘年の交り”という意味もあります。今年もみんなで和気あいあいと、美味しい料理と楽しい会話で心とからだを癒しましょう! もちろんお店は日本橋の名店で決まりっ!
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【今月の表紙】一勇斎国芳 季寄時計年中行事 戌刻 浅草市の賑ひ
嘉永2〜4年頃(1849〜51)海老屋林之助版
【12月号連載】人物語249
文楽 豊竹嶋大夫さん
文楽、情を語る太夫(たゆう)の姿
江戸時代、大阪にて花開いた人形浄瑠璃・文楽。愛と死、義理、人情を描いた浄瑠璃を表情豊かに語る太夫(たゆう)、情景を彩る曲を奏でる三味線弾き、そして人形に生命を吹き込む人形遣い。文楽は、この三業が結集して作り上げる世界にまたとない芸能だ。三業の中で浄瑠璃を語る太夫の豊竹嶋大夫さんは、昭和7年(1932)愛媛県北条市(現・松山市)生まれの82歳。文楽の世界に入ったのは16歳の時だった。「料理屋を開いていた両親が浄瑠璃を習っていてね。小さい時から親しんでいたんです。15歳の時、北条の町に大阪から文楽の太夫さんがやってきて、初めてプロの語りを聞いた。両親の語りを聞いていただけに、プロの芸の素晴らしさに心打たれましてね。こりゃ文楽の世界へ行くんやー! って、もうまっしぐらでした」。相撲か文楽か、大の男が血を吐くほど厳しい修業といわれる世界。親兄弟は大反対したが、嶋大夫さんは弟子入りを決意する。「母と一緒に、松山から船に乗って、別府、高松、神戸を経由して大阪へ。港に着く度に、母がもう帰ろうよと言っていたことを今でも鮮明に覚えています」。夢を抱いて到着した大阪は戦後の混乱期、焼け野原にそごうと大丸だけが残っていた……(続きは本誌で!)
【12月号連載】逸品 にほんばし島根館 のどぐろ一夜干
北は雄大な日本海、南は中国山地という豊かな自然に抱かれた島根県。横に長く、出雲・石見・隠岐の三つの地域に分けられ、気候や文化、言葉も微妙に異なる。あちこちに島根の“うまいもん”は溢れているが、今回紹介したいのは島根県西部に位置する浜田市の産物、のどぐろ一夜干。淡い紅色が美しいこの魚、正式名称は赤ムツだが、喉が黒いことから通称のどぐろとよばれ、山陰沖西部で獲れるものは脂質に富み、最高で30%以上にもなることから“白身のトロ”ともいわれる。そんな山陰の高級魚のどぐろで干物を作るのは、豊かな海と自然にめぐまれた港町・浜田市で、大正時代から干物を製造業を行う老舗の香住屋……(続きは本誌で!)
【にほんばし島根館】
室町1‐5‐3 MAP・B6 電話5201‐3310
10時30分〜19時 無休※年末年始を除く
《写真》のどぐろ一夜干 1枚 小540円/大918円
【12月号連載】日本橋食べもの歌留多 第21回 向笠千恵子
羽子板は、蚊にさされるのを避けるまじないから始まったという。だが、江戸時代の元禄期、庶民文化が花開きはじめると、井原西鶴が『世間胸算用』で「正月のけしき、京羽子板、玉ぶりぶり、細工に金銀をちりばめ……」と書いているように、正月前に買いととのえる豪華な縁起物として人気になった。
いっぽう、押絵という装飾技法が早くからあって、徳川秀忠の娘の東福門院和子の作品が現存している。この技法は、切り抜いた厚紙を布でくるんで立体感を出すところがみそで、間に綿を入れてふくらませることで、ふっくらやさしいカーブをつくり出す。たとえば、髪、顔、着物の形をつくって順に重ね合わせれば、現代の3Dと同じく〝飛び出す〟効果を演出できる。
この二つの文化が合体して、押絵羽子板が生まれた。町人文化が爛熟期を迎えた江戸時代後期に登場し、人気歌舞伎役者の舞台姿をテーマにしたため、大受けした。さしずめ、アイドルのブロマイドに3D効果をプラスした最先端技術だったろう。
ただし、最近の羽子板は、役者さんの肖像権問題があるとかで、人気は藤娘だそうな。羽子板の藤娘は、絵絹に描いてあるから肌が美しく、うりざね顔も色白だ。着物はもちろん藤尽くしで、立体感がすばらしい。というか、完全な立体ではなく、半立体というところが新鮮である……(続きは本誌で!)