月刊『日本橋』2015年4月号 No.432

【今月の特集】三越劇場陽春特選公演記念
梅沢富美男さん 竜小太郎さん
いい処・いい味 にほんばし散歩

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“下町の玉三郎”こと大衆演劇界を代表する役者・梅沢富美男さんと、“流し目のスナイパー”の異名を持つ若手実力ナンバーワン女形・竜小太郎さん。この4月「三越劇場陽春特選公演〜梅沢富美男 春に舞う!!」に出演されるお二方が日本橋に遊びに来てくれました! 老舗名店・新名所……名役者のお二人とぶらり、にほんばし散歩へ—。

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大衆演劇の二大スターが行くにほんばし散歩
—(編集部)お二人とも、道行く人からの挨拶にも気さくに対応されて、そういったところも人気の理由ですね。
梅沢 ありがたいことです。ただ、僕もまだ知名度が低いんでしょうか、稀に「あれ?  ほら、あの人、テレビに出てる人。そうそう富沢梅男!」なんて間違えられることも(笑)
 僕も、滝小太郎って。皆さん、どうぞお見知り置きください!(笑)

 —コレド室町に行かれたことはありますか?
梅沢 以前、テレビの撮影で。にんべんさんの〈日本橋だし場〉にもうかがいましたよ。
 だし場?
梅沢 出汁が一杯100円で飲めるんだよ。え? 累計50万杯以上売れている? いいですねぇ。僕もやろうかなぁ〈富美男BAR〉。三越劇場で期間限定出店できないかな。
 〝富美男汁〟ですか(笑)。きっと繁盛しますよ。僕もお手伝いさせてください。

日本橋の新名所【福徳神社】
—福徳神社は千年以上前からこの地に鎮座している稲荷神社で、昨秋、新社殿が完成しました。
梅沢 わぁ立派ですね。さっそくお参りしましょう。ほら、参道を歩く時は、真ん中は神様の通り道だから左端を歩くんだよ。
 はい、お兄さん。
—何だか本当の兄弟のようですね……(続きは本誌で!)

 

プロフィール
●梅沢富美男(うめざわ・とみお)
1950年11月9日生まれ、福島県福島市出身。剣劇一座「梅沢劇団」の創設者・梅沢清を父に持ち、娘歌舞伎の竹沢竜千代を母に持つ。1歳5ヶ月で初舞台。1980年代以降、女形で話題となり、“下町の玉三郎”と呼ばれ一座のスターに。82年シングル「夢芝居」を発売。梅沢富美男の持つ妖艶さと、小椋佳の曲が見事にマッチし、48万枚のヒットとなった。以降、明治座をはじめとする舞台、様々なドラマ・映画・バラエティに出演。YTV「情報ライブミヤネ屋」、TOKYO MX「粋なオトナの生ワイド! バラいろダンディ」木曜レギュラー。

●竜 小太郎(りゅう・こたろう)
1974年8月2日生まれ、東京都台東区出身。生まれた時から本当の父親を知らず、母親に育てられる。4歳の時より日舞を習い始め、森川長二郎劇団に入団。7歳の時、初代浪花のチビ玉“竜 小太郎”を襲名し大ブレイク。坂東玉三郎の門下生で舞台の真髄を学び、舟木一夫に見出され、 舞台上では“流し目のスナイパー”として、世の女性たちをうっとりさせている。NTV年末時代劇「源義経」、NHK大河ドラマ『風林火山』、名古屋・御園座「水戸黄門」などテレビ・舞台でも、幅広く活躍する。三越劇場では、2005年、2007年に竜小太郎座長公演を行う。

 

【今月の表紙】
一勇斎国芳
石橋 子供遊 大判 天保十二年(1841)

【4月号連載】人物語253 赤尾三千子さん

横笛の音色に魅せられて—

千本目の太刀を奪おうと武蔵坊弁慶が待ち受ける五条大橋に、〝薄墨の笛〟を吹きながら登場するのは白い直垂姿の牛若丸―。ご存知の名場面に登場するこの〝薄墨の笛〟は、時代を越えて静岡県鉄舟寺に伝わっており、今年5月、日本橋公会堂にて公演される〈横笛 赤尾三千子の世界「義経」〉でその音色を体感することができる。奏者は、日本古来の笛である龍笛、能管、篠笛で独自の世界を表現し、国内外の舞台で活躍する横笛演奏家の赤尾三千子さんだ。
5歳からピアニストを目指し、レッスンに励んでいた赤尾さんが横笛に出会ったのは高校生時代……(続きは本誌で!)

★公演情報〈横笛 赤尾三千子の世界「義経」〉
日時/5月27日(水)19時〜、28日(木)14時〜
場所/日本橋公会堂
入場料/4000円(全席指定)
予約/03-5685-0650(東京文化会館チケットサービス)

【4月号連載】逸品 黒江屋 四寸二段小重(溜春秋・本朱春秋)

最近は保温効果のある機能的な弁当箱が巷に溢れているが、日本には古来から優れた弁当箱がある。それが漆器の弁当箱。漆の主成分である“ウルシオール”の作用で自然の抗菌効果があるし、なにより、木材の呼吸を妨げない漆は、ごはんの余分な水分を逃して、おいしさを保ってくれる。それに、落ちつきのある光沢が美しい漆器ならばお弁当の中身も映え、一層おいしく味わえるというものだ。
 “漆器の重箱”と聞くと、正月のお重や花見などの行楽用にと、サイズの大きなものを想像してしまうが、写真の直径約12センチほどの小重ならば、普段のお弁当に気軽に使える。色は二種類。重厚感のある赤の〈本朱〉と、左の赤茶のような色は〈溜塗り〉によるもの。これは、まず朱漆で下塗りし、その上に生漆を精製した半透明の〈透き漆〉を重ねている……(続きは本誌で!)

【四寸二段小重(溜春秋・本朱春秋)】
 日本橋1-2-6・2階 電話3272‐0948
 9時〜18時 土日祝休
《写真》18,000円(税抜) 

【4月号連載】どうなってるの? 江戸のこと日本橋のこと そうだ! K・シュレンバウムさんに聞いてみよう!

江戸東京に詳しいK・シェレンバウムさんと、その隣人花子さんによる、江戸、日本橋の話。
お花見の季節到来! 東京はもちろん、全国各地で宴もたけなわ。世の中に絶えて桜のなかりせば……お侍が干上がってしまう?

第二話 江戸の風物詩と御家人の内職
■江戸の団体様
K・シェレンバウム(以下K)お花見の季節になりました。東京のあちこちで桜が満開です。
花子(以下花)今も昔も日本人は桜が大好き。
K 江戸時代、上野の桜が早くから有名で、その後、八代将軍・徳川吉宗が飛鳥山に植えさせて、小金井も続いています。
花 吉宗は桜が大好きだったそうですね。
K 桜だけではなく、中野に桃園も造らせています。
花 確か、今の中野三丁目あたりは“桃園”という地名だったとか。
K 吉宗が鷹狩りに訪れていたところです。遠い小金井はともかく、江戸の人々向けに日帰りレジャーの場を整備したわけです。
花 今の時期、上野のお山も、隅田川の ♪錦織りなす長堤♪ も人の波です。
K そんなふうになったのは、文化・文政の頃(1804〜29)にお花見の様子がガラリと変わってからです。それまでは立派な一本の桜をするのが一般的でしたが、上野や飛鳥山のように、まとまって桜が植わっているところに人々が集まるようになりました。
花 どうしてですか?
K 団体のお花見が盛んになったからでした。
花 今なら、会社ぐるみでお花見に繰り出したりしますが、江戸時代の花見の団体さんというと……
K 例えば、踊りや三味線のお師匠さんが、お弟子を大勢引き連れて繰り出すようになったのです。それだけお花見をできる人々の層が広がったのでした……(続きは本誌で!)