月刊『日本橋』2014年11月号 No.427
【今月の特集】発表 第十七回 川柳大会
月刊日本橋、秋の恒例「川柳大会」。
今年も日本全国から約3500の句が寄せられました。
それぞれのイメージで日本橋を詠んだ句、震災復興・猛暑・風水害など時事問題、そして東京五輪開催決定などの明るいニュースや人気映画などの流行ネタ……
世相と呼応した、いずれ劣らぬ秀作・力作が揃いました!
みなさんの心を打つ作品はどれでしょう?
選者はおなじみ、川柳学会専務理事の尾藤一泉さん。
たっぷりお楽しみください!
入賞作品をPDFで見る→senryu1 senryu2
選評
「川柳は、身近な文芸」
尾藤一泉さん
日本橋裏も表もおもてなし 新免ヒロキ
「おもてなし」は、流行語大賞にもなり、多くの川柳で読まれていますが、「日本橋」と結びつけることにより、新しいイメージが醸し出されました。日本橋の表通りは、日本の顔のひとつともいえる地域ですが、江戸以来の老舗の心遣いは、今も商品やお店の人々に受け継がれています。これは当然として、日本橋の表通りからちょっと裏に入ると、小粋な世界が広がります。こちらの「おもてなし」も日本橋ならではの一流。「裏も表も」の中七が、さりげなく日本橋の全体像を描き出しています。単なるコトバ遊びの川柳ではない〈大賞〉としての大きさもあり、深読みも出来る作品です。
日本橋カメとウサギが同居する 野村信廣
〈大賞〉は「裏も表も」の対句でしたが、〈一泉賞〉は「カメとウサギ」の対句作品です。日本経済の中心地で、カメのようにゆっくりと営まれる経営もあれば、ウサギのように駆け足で行くベンチャーも。誰もが知っている童話に引っ掛けて「あそこはカメ、ここはウサギ」などと店を覗きながら歩くのも楽しそうです……(特集はまだまだ続きます。ぜひ本誌を手に取ってご覧ください!)
【11月号連載】逸品
うなぎ・割烹 大江戸
いかだ大丼(おおどんぶり)
鰻の蒲焼は、うまい。これほどまでに、旨みに溢れ、身も心も元気になれる魚がほかにあるだろうか。けれど、近年のシラスウナギの不漁から価格が高騰、今や高嶺の花の食べ物となりつつある。そこで、「ただ値上げをするだけではだめ。蒲焼屋も工夫が必要」と、江戸寛政年間(1800年頃)創業の大江戸・九代目当主の湧井恭行さんが考案したのが写真のうな丼、その名も“いかだ大丼”である。特別に誂えたという直径約20センチの丼の蓋を開けると、えもいわれぬ香りと共に器いっぱいに敷き詰められた蒲焼がお目見えし、思わずにんまり。さっそく一口……(続きは本誌で!)
【大江戸】
本町4‐7‐10 MAP・B4 電話3241‐3838
月〜金11時〜22時、土〜21時 日祝休
《写真》いかだ 3800円※価格は全て税抜き表記
【11月号連載】人物語248 北澤一京さん
江戸木彫刻、一筋に。
木地を活かし、豪華で躍動感あふれる装飾を施す江戸木彫刻。葛飾区水元に工房を構える北澤一京さんは、成田山新勝寺総門の獅子頭、川越や佐原の山車、箱根神社の神輿などを手がけてきたこの道60年の職人だ。栃木県足利の地で昭和15年に生まれた北澤さん。父・一松さんは、手描き友禅の職人で、全国紙の挿絵を手がける画家でもあったが、戦争で返らぬ人となり母・照子さんが女手一つで兄弟を育ててくれた。この道に入るキッカケとなったのは、母を手伝い竃で食事のうどんを茹でている間、暇つぶしに薪を彫って遊んでいた時のこと。近所のおじさんに掛けられた「上手だから木彫師になったら」の褒め言葉だったそうだ。「それで、15歳で家を出て、埼玉の彫師の家を訪ねたんです。途中、道が分からず近くにあった仏壇屋の大旦那に道を聞いたら、あんな下手な職人のところになんて行くな、もっといい師匠を紹介してやる、と浅草まで連れて行ってもらったんです」。到着したのは名工と謳われた飯島米山師匠のもとだった。「人生、どこで道が別れるかわかったもんじゃないですね。弟子入りしたばかりの頃は、彫刻師には程遠いっていうので、〝けずり屋〟と呼ばれていました……(続きは本誌で!)
【不定期連載】日本橋の若社長⑧ 中華・髙橋 代表取締役社長 髙橋滉さん
自己紹介と、会社の紹介をお願いします。
日本橋箱崎町に本社を置く、業務用中国料理食材の加工・販売業を営んでいます。小売店の古樹軒(MAP/A3)の親会社です。私は、大学卒業後すぐに中華・高橋に入社し、平成13年、28歳の時に社長に就任しました。中華・高橋は、祖父の正が昭和28年に設立した会社です。中国語が堪能で戦時中は軍の通訳として中国に渡っていた祖父が、帰国後、中国と関わる仕事をしたいとフカヒレを中華料理店に卸す商いを始めました。二代目の父・國昭は猛烈な商売人間で……(続きは本誌で!)