月刊『日本橋』2013年11月号 No.415

■特集
第十六回 川柳大会

■読み物
どうなってるの? 江戸のこと日本橋のこと212/M・シェレンバウム
シンボーの日々是好日165/南伸坊
江戸平成川柳歳事記《風邪》/松本充代
粋人有情《男と指輪》/篠田節子
今一度逢い度候(九十二)井伏鱒二/岩満重孝
其角堂コレクション《伝世の装身具にみる 江戸名所風景(一)》
まちの人のエッセイコーナー 第17回《不忍画廊・その2》
日本橋食べもの歌留多(8)向笠千恵子
気ままなスケッチ/小川幸治
江戸っ子亜土ちゃんの日本橋ブギヴギ(6)

■人とお店
常連さん〈魚十〉
新お徒歩日本橋繁盛記(131)/一色九月
逸品《よし梅》
人物語236《市川笑三郎》
日本橋の若社長

■インフォメーション
第25回野菜くだものツアー
豊年萬福塾
お江戸日本橋マップ
三越・髙島屋
いらっしゃ~いのコーナー
東京湾大感謝祭
11月のGALLERY&THEATER
かわらばん
日本橋らいんあっぷ
江戸東京野菜プロジェクト
誌上いちば

■エトセトラ
今月のプレゼント
11月の西洋占星術/ルネ・ヴァン・ダール・研究所
旧暦ごよみ/暦ことば
こちら編集部・おたより
今月の表紙/悳俊彦・目次

●今月の広告
ホテルかずさや
学書院
人陽鍼灸リバース
三越

表紙の浮世絵 一勇斎国芳「源頼光」大判二枚続
文化十三〜十四年(1816〜17) 西村屋与七版

どうなってるの?
江戸のこと日本橋のこと
そうだ、M・シュレンバウムさんに聞いてみよう!
第212話 月夜のカシオペア

江戸東京に詳しいM・シュレンバウムさんと、その隣人花子さんによる、江戸、日本橋の話。
八月号で話題にした、プレミアムトレイン。その乗り心地を鋭く分析したMさんこそ、真に鉄道を愛する、真の“鉄ちゃん”……!

■ビル毎の月

M・シュレンバウム(以下M)  アノ猛暑が櫛の歯を引くように東京から姿を消し始めたのが、ちょうど彼岸の中日を目前にした秋分の頃でした。
花子(以下花)  今年の「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉ほど、私達の生活の「芯」に直撃した言葉はなかったようにさえ思えます。言い古された言葉をみんなにソレと承知しながら、思わず語り重ねているという状態は、それなりに「真」をついているからなんですよね。
  童話に歌われた「小さい秋」を見つける前に、大きな秋がどっかり座った感じの十九日の満月の夜も、東京の空は十二分にその美しさを演じてくれました。ビルの裾野から巨大なガラスの壁に包まれた大きな山のようなビルの壁面のそれぞれの窓に、月光が斑なくそれぞれの階数に応じた濃淡をつけて、光を「ハーモニック」に演出していましたよね。
  信州や越後の「田毎の月」といった形ではなくて、「ビル毎の月」であるところがおもしろくて、新風景発見! といった気分でした。
  ビル毎の月は、日本橋のどの辺りで?
  日本橋の大通りの信号待ちの横断歩道のところで…… (つづきは本誌で!)

シンボーの日々是好日165 「琴電と仏生山温泉」

瀬戸内海の島に現代芸術を見に行く企画、をツマが立てた。横尾忠則さんが豊島に美術館をつくったというので、まず、そこに行ってみよう。
だけじゃなく、瀬戸内の島々には、現代芸術島みたいなのが、あちこちに沢山あるらしいから、ついでにそっちもグルッと回ってこようと、そういう企画。
わが家の旅行は、たいていゆるゆるで、なにかといっちゃあ一休みする、という方式だったのだが今回は離島をめぐることになるので、スケジュールがややこしいらしい。
いつになく、ツマが真剣に計画を立てているので、
「そんなに、どうしてもってんじゃないから、てきとうでいいよ、行かれないなら、行かなくてもいいんだし……」
と言うと、折角、あれこれやりくりしてる時に、やる気をなくすようなこと言うない。と一喝されてしまった。
島へ行く船の便が、極端に少ないので……(つづきは本誌で!)

逸品

人形町は大観音寺脇の細い路地に、ひっそりと佇むよし梅。東京を代表する料理〈ねぎま鍋〉でお馴染み、昭和2年の創業以来「粋な味、下町の味」をモットーに、東京流魚河岸料理を提供している。木枯らしが身に沁みる季節、ねぎま鍋もいいが、気軽にランチのぞうすい御膳で体を温めてはいかがだろう……(つづきは本誌で!)

日本橋の若社長 3

——社長に就任するまでの経緯を教えてください。 江戸時代は小網町河岸の荒物・小間物商でしたが、時代を見通して、明治からは油の専門問屋(植物油と石油)となり、現在は幅広い油、大豆・菜種・ゴマなどを扱っています。小さい頃は祖父や父がどんな仕事をしているのか、はっきりとは知らなかったです。大学卒業後は石油関係の会社に勤め、アメリカ留学でMBAを取得し31歳で島商に入社。11代目社長に就任したのは、2011年39歳の時です。私の先祖は関東大震災の時、小網町の会社近くでほぼ全員亡くなっており、そんな一族の歴史から東日本大震災の折、父は世代交代を強く考えたようです。2週間ほど考えましたが、岡山の出張先で600年企業の老舗さんに出会い……(つづきは本誌で!)